ニュースでこのようなものが流れていました。
リードを棺に入れようとしたら「天国ではリードは不要ですよ」と言われた愛犬のペット葬
DMMニュース2015年5月16日
長いこと一緒に暮らしてきたペットの死は、身近な人が亡くなった場合と同じくらい、あるいはそれ以上に悲しみが深いことがあります。
■人と違い感情のもつれはなく、ただ愛しさだけが残るペット葬
人間の場合と違って、ペットに対しては感情のもつれや葛藤などがなく、ただ愛しさがあるだけです。ペットをわが子と例える人も多いですが、ペットは憎まれ口も効きませんし、金や相続などで問題も起こしません。愛されるために引き取られ、飼い主に楽しい思い出をたくさん授けてくれた命、これが召されたとしたら、嘆かずにはいられません。
■「天国ではリードは不要ですよ」
長年飼った犬を亡くしたとき、荼毘に伏してもらうため、ペットを扱う葬儀会社の人に来てもらいました。
段ボール箱の棺の中にリードを入れようとしたら、「天国ではリードは不要ですよ」と言われた記憶があります。
リードで縛られ行動を制限された形、あるいはケージに閉じ込められた形でしか生きることが許されなかったペットの一生を思うと、申し訳なさとなお一層の愛しさを感じたものです。
■散文詩「虹の橋」から考えるペットロス
「天国に続く道の少し手前に『虹の橋』と呼ばれるところがあります」というフレーズで始まる「虹の橋」という散文詩があります。
1980年代のアメリカで広まったものらしいですが、亡くなったペットは天国の手前の緑の草原で仲間たちと楽しく暮らしており、そこに飼い主が現れると目を輝かせて飛び付いてきて、共に虹の橋を渡って天国へ行くという節で終わっています。
ペットがペットではなく、動物として自由に生きられたらと思うのは、飼い主のファンタジーかもしれませんが、この詩を口ずさむことで、ペットロスに悩む飼い主の心も幾分かは癒されるかもしれません。
■忠犬ハチ公などペットと飼い主の沢山の逸話
飼い主を待つペットの逸話は、ネットなどでもいくつか見られます。日本での代表的なエピソードは渋谷駅のハチ公です。
秋田犬のハチは、大学教授の飼い主がいつものように駅から帰ってくるのを、自分の命が尽きる10年もの間、通い続けて待っていたということです。その他にも、飼い主の墓に住み付く犬の話なども世界各地から報告されています。動物の行動心理をあれこれ邪推しても結論は出ませんが、それらのペットの姿は愛と悲しみに突き動かされているように見えて、感涙を禁じ得ません。
■葬儀の基本要素が詰まったペット葬
宗教や風習などで制約のないペット葬は、自由な葬儀の基本要素が詰まっています。
死を悼み、遺体を火葬あるいは埋葬にする……というのが葬儀の基本です。愛を交わした存在の喪失は深いショックをもたらしますが、それでも、きちんと見送ると、気持ちの区切りが付くというのも事実です。しばりのないところでお見送りし、いつの日か、しばりのないところで、飼い主もペットも再会できればよいですね。
実際にリードは環境上の問題で火葬できませんので、一緒に棺に収めることは出来ないと言われたものと思われます。しかしこのような愛犬目線のセリフも、すべての飼い主さんとは言いませんが、時にいいのかもしれませんね。
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