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07日

尊くも早い時間、“永遠の幼子”の壁

 

参考になる記事を見付けました。動物さんと暮らす、ペットちゃんを飼育するということは、これでいう“永遠の幼子”の壁があります。

 

ペットの死は、なぜ心を病むほどつらいのか

2017年6月5日 女子SPA!

 

<16歳の愛犬を亡くした心理カウンセラーが考えるペットロス Vo.3>

 犬が先にいってしまう現実を受け入れがたいのは、「人間は『こうあって欲しいという願い』を『現実のはずだ』と思い込みたがる生き物だから」と、前回、書きました。さらにもうひとつ、理由があるように思います。「犬は人間の子どものようには成長しないから」です。

 

いつまでも“親離れ”しない存在

 犬種によって差はありますが、生後1年半くらいになるとほぼすべての犬は人間でいうところの二十歳を超えます。人間であれば、「洗濯をしない」とか「料理ができない」とか、出来不出来の差はあるものの、自分のことは自分でできるようになっています。「人の手」を借りなくても日常生活が成り立つ年齢です。

 人間の子どもは、2歳より3歳、5歳より10歳、10歳より18歳・・・と確実に自分でできることが増え、知恵もついていき、少しずつ助けを必要としなくなって親から離れていきます。

 でも、ペットである犬は違います。確かに生後1年も経てば、トイレを覚え、人と暮らすためのルールを知り、人と意思疎通もできるようになるなど、大きな成長が見られます。しかし、生きていくには相変わらず人間の助けが必要です。自分でゴハンを探し歩くことはできませんし、ひとりで外を自由に歩くこともできません。

 ケフィもそうでしたが、とくに大型犬の場合は室内での排泄を嫌がる子が多いので、時間を見て定期的にトイレに連れ出してあげなければなりません。「人の手」がなければとても生き延びることはできないのです。

 

人間の子どもと犬との違い

「心の成長」の様子も人間とは違います。人間の子どもは、毎日世話をし、安心感をもたらしてくれる親のことを安全基地として心のなかに取り込んでいき、やがては目の前に親がいなくても、不安やおそれを感じずにやっていけるようになります。多少のトラブルがあっても、心のなかにある安全基地でエネルギーを充填し、困難に立ち向かって行くことができるようになっていきます。

 一方、人間ほど脳が発達していない犬にはそれができません。いくつになっても、目の前にリアルな存在としての安全基地(飼い主)が必要になります。これまた犬の個体差があるとは思いますが、飼い主の姿が見えないと不安そうにそわそわしたり、ペットホテルに預けると「借りてきた猫」のようになってしまったり、懸命に鼻を鳴らして「どこに行ったの?」と探し回る犬は少なくありません。

ペットの死は、なぜ心を病むほどつらいのか

 

いつも私を探していたケフィ

 ケフィは、まさにその典型でした。

 ノーリードで遊べる場所では、いつも私がどこにいるのかを確認し、けっして20メートル以上は離れないようにしていました。万が一見失ったら大変! キリンのように首を長くして、そこら中を走り回って捜すのです。ドッグランにも一人(匹)では一刻たりともいられず、私の姿を必死で追い、どうにかしてドッグランのフェンスを越えてこっちに来ようと大奮闘。

ガラス張りの電話ボックスの中にいる私を見つけたケフィが、二足立ちでボックスをドンドン叩いたと思ったら、わずかな隙間からどうにかして中に入ろうとがんばっていた姿も昨日のことのようです。

 郵便局に連れて行ったときには、外階段の手すりにつないでいたリードが外れた隙に自動ドアから入ってきて、窓口で話していた私に後ろから抱きついた事件もありました。私が悲鳴を上げたのを見て全員が大爆笑! 顔から火が出る思いでした。

 

“永遠の幼子”が逝ってしまう現実

 私が世話をしてあげなければ生命の維持さえ難しく、だれよりも私を必要としてくれるケフィ。いつでも私を探し、一時も離れまいと寄り添ってくれるケフィ。私と一緒であればどんなところでも安心していたケフィ。

 そんなケフィは私にとってまさに娘でした。それも、いつまでたっても成長することがない、ずっと私を頼り続ける“永遠の幼子”のような存在だったのです。

ところが実際のケフィは、いつのまにか私の年を追い越していました。私よりうんとあとに生まれたケフィは、現実にはすっかりおばあちゃんになっていたのです。私にとっては、私の心のなかでは、いつも、いつまでも子どものような存在だったケフィが私より先に逝ってしまう・・・。それは本当に想像もつかないことでした。

 ペットロスが大きなダメージとなるのは、“永遠の幼子”が突然、「実は年を取っている」事実を突きつけられ、瞬く間に消えていく命の火と向き合わざるを得ないからなのかもしれません。それはまるで玉手箱を開けた浦島太郎のような気持ちです。夢のようだった毎日が、ある日、急に終わりを告げ、現実を突きつけられるのです。

 

 

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